120点は要らない、100点でいい
その100点がなかなか取れません

 新入社員に対する技術研修の「ハードさ」は、昔から社内では語り草。

 たいていの人が新人時代を振り返っては「あの研修はキツかった」とため息をつき、社内行事で翌年入社予定の新卒内定者と顔を合わせると「覚悟しとけよ」と脅かし半分のアドバイスをおくったりしていました。しかし、最近では少し雰囲気が変わって、以前ほどの大変さはなくなったんじゃないかと思います。

 かつては、少し時間を余らせて課題をクリアした人に、「早く終わったのなら、もう1つ上の課題に挑戦してみようか」と促して、「100点満点のところ120点を取らせる」という感じの印象もありましたから。

 今は、そこまでのことはやりません。

 100点満点の課題なら、100点取ってくれればOK。もっとも、その100点がなかなか取れない……という声もよく聞きます。

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経験を問わず、“勉強漬け”の3ヶ月
現場配属後に補講することも

 当社では、社会人経験ゼロで入社する新卒者はもちろんのこと、SEとしての実務経験を積んで転職してきた人にも、同じ内容の新入社員技術研修を行っています。この研修を経ずに現場に入ることはありません。

 それは、研修課題にひたすら取り組む3ヶ月間のカリキュラム。「C言語を使ってプログラムを試作する」という課題です。課題に取り掛かり、プログラムができあがったら提出して、レビューを受ける。不足や誤りがあれば指摘を受けて、修正に着手。そして、OKをもらう。この繰り返し。

 研修期間中は研修以外の業務を命じられることはありません。総務研修をのぞいては黙々と技術研修に集中することができますが、3ヶ月間で与えられた課題をすべて終えることができなければ、現場配属後にも補講を受けて、残ってしまった課題をやりきる必要があります。

 多くの社員が「キツかった」と振り返るのは、毎回のレビューの厳しさと、技術研修が3ヶ月間で終わらなかった場合の補講についてでしょう。

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複雑、難解、しかも時代遅れ
それでも基礎はC言語にある

 ところで、研修期間の3ヶ月、とことん取り組まされるC言語は、数あるプログラミング言語の中でも複雑で、習得しづらいものとして知られています。その上、最近は、開発の現場では主流ではありません。実際、研修終了後に現場に配属されれば、JavaやSQL、C++などを、改めて学ぶ必要が出てきます。

 だったら、なぜ、そこまでC言語にこだわるのか?

 それは、いま開発現場で使われているプログラミング言語の多くが、C言語から派生したもの、あるいはC言語の欠点を補おうとして開発されたものだからです。

 C言語をしっかり身につけておけば、間違いなくその後の展開が早い。

「C言語を基礎から学ぶ」と言われて戸惑いを隠せない経験者もいます。そうなると素直に学べる分だけ、かえって未経験者のほうが有利……なんてこともあるかもしれませんね。

I&Lガイドライン実現アンケート結果

新入社員に対して実施している入社前研修、I&Lアクシス研修(総務研修)、新入社員技術研修は役立っていると思いますか?

「動けばいい」では許されない
愚直に基礎をやりぬく

 業務経験者や情報系学科の出身者はもちろんですが、最近では文系学科の出身者でも、程度の差こそあれ、プログラミングの学習経験を経て入社するケースが見受けられるようになってきました。

「ひととおり動作する」レベルのプログラムなら、今さら習わなくても書ける――そんな自負を持って入社してくる人もいるはずですが、それでもI&Lソフトウェアでは、まずは全員に、基礎からしっかりと体系的に学んでもらっています。経験者にとっては、“学び直し”になることも少なくありません。

 なぜか? I&Lソフトウェアは「動けばいい」をプログラミングのゴールと考えないからです。これは研修期間だけでなく「開発現場配属後の業務においても」です。たとえ、どんなに納期がきつくても……。

 高い「保守性」を担保すること。

 「動けばいい」として我流で書いたプログラムは、後で改修する必要が生じたとき、多くの場合、とんでもない苦労をすることになります。

 優れたプログラムは無理や無駄がなく、手を入れる際にも、そのポイントを探しやすいものです。つまり「作ったら終わり」ではなく、その後も続く保守への対応もあらかじめ考慮したプログラムを書くこと。

 そのためには、愚直なまでに基礎をやりぬく。

 遠回りのようで、結局はそれが早道なのです。

 この辺りにも、I&Lソフトウェアという会社の、品質へのこだわりが示されています。

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S.T.

1973年生まれ。帝京大学文学部心理学科卒。
1997年に当社に入社。組み込み/UNIX/オープン/Web系の各分野のプロジェクトを経験。
複数のプロジェクトリーダーを務めた後、2015年より“人材育成部”に異動。現在に至る。